「天皇の陰謀」 もくじへ 
 「両生空間」 もくじへ 
 HPへ戻る
 

<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第89回)


天下分け目のミッドウェイ海戦


 今回の訳読の冒頭に、以下のような記述があります。
 また、これにつづいて、この作戦に参加した日本の総艦船数は185隻、その艦載機総数は685機であったというのですから、まさしく大軍であり、日本の総力をかけた海戦であったことは疑いありません。
 さらに、この原本 『天皇の陰謀』 の副題が 「天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた」 とあるように、今でこそそれは、まさに絵空事であり、狂気沙汰ではありますが、その当時の日本が、すくなくとも、皇室を頂点に、政府、大本営、陸海軍首脳部等々レベルにおいては、まじめにそして本気で、こういう壮大な計画を描き、実行に移していたということです。
 今日の私たちが、こうしたかっての日本の “気宇壮大さ” をどう受け止めるのか、それは議論の分かれるところでしょう。しかし、著者バーガミニがここに記述する当時の計画やその実践の詳細は、日本の近代史の “ブラックボックス” 同然の部分についてであり、その “ミッシング・リンク” をつなげてくれているものと言えます。
 本コメント記事に幾度も指摘してきたことではありますが、今日に生きる日本人にとって、そうした事実の内容は、ほとんど知らされずも同然にしてでの今日の日本です。

 さて、その 「ミッドウェイ」 ですが、私は子供の頃、模型好き少年として、ゼロ戦や戦艦大和の模型作りに熱中したものでした。たぶん、その頃だったと思うのですが、誰かから、このミッドウェイ海戦について聞いた記憶があります。そのおぼろげな記憶によると、その海戦は、米軍機の突然の急襲に、日本空母の艦載機が爆弾と魚雷の付け替え中で迎撃に間に合わず、大敗させられたといった内容のものでした。それがどういういきさつでそうなったのか等の説明を聞いたのか、聞かなかったのか、記憶にはないのですが、ただ、なんとなく、ひどく残念な気持ちにさらされた印象は残っています。
 今回、ここに再現されたその 「ミッドウェイ海戦」 についての詳述に接し、まさに、30分間内外、厳密には6分間の対応の遅れが、決定的な勝敗――この個別海戦のみならず、ひいては、太平洋戦争そのもの――の分かれ目となった様子を知ることができます。そして、この6分間がその分れ目を左右したとするなら、それはまさしく、 「」 の世界の話です。
 
 ところで、そういう 「運」 という、ある意味で “些細” なことが、そこまで決定的に働くこととなるには、その背後で、ある “重大” な大枠が形成されていたからでもあります。そしてその大枠とは、これは確かな人為的な努力により形成されていたものです。
 すなわち、互いに索敵する情報戦にあって、山本長官による綿密な計画、ことに、起りうる事態を想定した情報戦計画にあって、潜水艦隊による偵察線の設置に失敗したという、文字通り、「命取り」 となった “へま” がありました。
 その詳細はこの訳読を読んでいただくとして、著者のバーガミニが指摘しているように、それは明らかな、皇室関係者による失態とその隠ぺいでした。
 それはそれで、まことに “人間的” とも言える側面ではありますが、そこに、皇室制度という世襲制の持つ明瞭な弱点と欠点が見て取れます。
 そういう意味では、太平洋戦争の経緯、結末にも、その弱点と欠点が、やはり、明確に作用していたと見るべきでしょう。

 私は昭和21(1946)生まれで、戦争の実体験はない “平和” 世代です。にもかかわらず、あるいは、であるからゆえ、その直前までの悲惨な時代を “受け継ぐ”、戦争の時代と今日の日本の、 “合間” 世代でもあります。
 この両時代のエキスに触れえる世代として、上記の 「ミッシング・リンク」 に、何らかの連結の役を果たせる位置に居るものといえます。

 それでは、ミッドウェイ海戦へ、ご案内いたします。

 (2013年4月18日)


  「天皇の陰謀」 もくじへ 
 「両生空間」 もくじへ 
 HPへ戻る
 

          Copyright(C) 2013 Hajime Matsuzaki All rights reserved  この文書、画像の無断使用は厳禁いたします