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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第61回)


「国体明徴」 か 「天皇機関説」 か


 以前に、日本の植民地下で教育されて育った今では80歳になる韓国人の知人から、彼が小学生 (当時では国民学校生) 時代にたたきこまれたという、 「国体明徴」 という言葉を聞いたことがありました。
 日本の歴史を、当の日本人からではなく、かつての 「朝鮮人」 による、しかもその歴史の生き証人として語られるその話は、いかにも生々しいばかりでなく、ひとつの重みを伴って受けとらされる体験でもありました。
 私など戦後世代にとって、中学や高校の歴史教育としては省略扱いされ、しかもその頃の一連の出来事を、意図的に忘れ去ろうとするかの風潮のある戦後日本に育った者にとって、その語は、奇異な印象を伴っていたばかりでなく、その意味することも、とっさには浮かんでこないという、恥ずかしいような距離感のあるものでした。
 受けた教育からというより、その後のある種の自分の教養として知った用語から言えば、それは、 「天皇機関説」 の反対語ともいうべきもので、天皇が、国そのものである、という考えです。
  「国体明徴」 運動が、軍部の台頭に伴って起こってきたというのは、飲み込みやすい説明ですが、それが同じ軍部でも、天皇の動きに反対する軍部の主張であり、天皇はむしろ、 「天皇機関説」 を受け入れていたという説明は、極めて意外な論旨で、私にとっての常識では、なかなか飲み込みにくいものでありました。
 今回で、本訳読は第五部、第十七章へと入り、そうした、日本の歴史の詳細部に入ってゆきます。そして、 「北進」 か 「南進」 かという戦略議論とも絡み合いながら、当時の日本の拡張主義の方向が選び出されて行きます。

 ではその歴史の詳細部、第17章 (その1) へとご案内いたしましょう。

 (2012年2月7日)


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