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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第52回)


幼児日本人

 今回は、ちょっと頑張って、第14章を一気に全部、訳読しました。
 日本はいよいよ、満州ほしさに満州事変をおこし、また、それに対する国際社会の眼をあざむくために、上海事変を起こしてゆきます。実に巧妙かつ手の込んだ、大それた企ての実行です。
 この章のハイライトは、著者のバーガミニの言う、 「三段階の陰謀」 という指摘と分析です。
 その第一は、前章に述べられていた 「ドル買い」 、すなわち、戦争資金作りです。
 その第二は、 “やらせ” としての上海事変の勃発です。
 その第三は、こうした巧妙な計画でも、当然、それへの反対者は存在します。そこでの、その反対つぶしの方策として、クーデタの脅しや暗殺です。いよいよ、血生臭くなってゆくのですが、再三、指摘されているように、それは軍部の独走ではなく、そういう当初からのシナリオなのです。
 蛇足ながら、ちょっとコメントを付したいのですが、まず、この第一段階のドル買いについてです。
 それが意味するところには二つの側面があり、一つは、今日でいう “金融武器” を駆使しての軍資金作りであることで、これは前回でも触れた点です。二つ目は、まさしく 《マネーの魔力》 とでも言えることですが、その投機の収益、つまりあぶく銭獲得の機会は、日本の全財閥にも与えられます。即ち、商売柄、自由主義的で国際調和的な論理も備えていたビジネス界、ことに財閥のうちの三井や住友と言った政商色の薄いグループも、そのマネーの毒牙に等しく犯されてゆくことです。言い換えれば、 “脱” 天皇を掲げるしたたかなリーダー、西園寺の息の根を止める武器として働いたということです。
 その上の第二段階としての上海事変ですが、この第14章の主題であるそれは、上海という東洋一の国際的るつぼでそれが展開される大芝居――大立ち回り――です。そうしたことから様々な余波を生み出し、いっそう武力依存を露骨にしつつ、自家中毒的に、日本のほとばしる気概―― 「青き頑なさ」 ――も毒気に変貌してゆくこととなります。
 
 話は飛びますが、この 『天皇の陰謀』 を読む興味深さは、狭くは戦後65年間、広くは過去一世紀以上に渡り、日本人がタブーにせざるをえないほどに、個々の自らのどこかに居つき、拭おうにも拭い切れない日本人性の根底にも関連する天皇の問題について、それが白日のもとに、衣を着せずに議論されていることです。言うなれば、日本人には決して書けなかったことが、そこに明晰に分析されているからです。
 正直に言って、私はこの訳読を続けることで (それを始める時は実に重たかった)、日本人であることの、明るさと暗さの両面を深々と想起させられています。逆に言えば、こうした実にアンビバレントな体験抜きに、日本人は日本人になりえないのではないか、とさえも思えてきています。そしてさらには、その体験なき日本人は、日本人とは言えない、少なくとも、幼児日本人であることです。
 つまり 《天皇アフェアー》 を、おしなべたタブーの霧でつつみ続けてしまうことは、個人にたとえて言えば、ある事件によるトラウマを背負った人が、それを問いきれずにタブー化し、一生、その囚人として生きてゆく生涯を連想させます。
 私が物心ついてからこの方、つまり、私の個的経験の限りでも、そうした目に見えぬ “監獄” が存在してきました。
 飛躍を覚悟で言いますと、そういう囚人であることと、たとえば、水俣や原発が、回避も可能であったろうにそれがし切れず、それほどの公の強制の犠牲を生み出してしまった社会があったこととは、一体のことであったと思います。
 それでは、その訳読の最新部へどうぞ。

 (2011年9月22日)

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