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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第46回)


「明示的」 か 「黙示的」 か

 この訳読を通して、私は、日本のいわゆる 「誰も責任を取らない」 体制は、自部族/民族の永久の存続を準備する、日本人の一種の歴史的 “知恵” であるのではないか、と思えてきています。
 前回の本号で、 「御簾の背後から」 と題して、天皇の姿を見せぬ支配の形態に注目しました。そうした隠れた支配は、恐らく、戦国時代に頂点を迎える繰り返された戦乱の中で、自部族の大将をどうにかして守り通そうとする――負け戦の場合、身代わりを犠牲にしても大将を生かして残し、次代の再生の種とする――、そうした実戦的知恵が生んだ歴史的産物ではないのか、という発想です。
 というのは、今訳読でその準備の様子が明らかにされている満州事変の勃発が、それが自然発生的であるどころか、二重、三重にも複雑に――それを著者のバーガミニは 「多重性」 と注記で形容している――組み立てられた、深い策謀の為せる人為的、戦略的計画の実行であることです。そして、それをもって、日本はいよいよ、世界を相手にしたと言ってもいいような大戦争に突き進んで行き、最後には無条件降伏という大惨事を招く結果となります。ただ、そういう失敗の事態に至っても、日本は、天皇という 「大将」 を生かしたまま残し、戦後復興へのひとつの主柱としてゆきます。
 いうなれば、東京戦犯裁判で、天皇を断罪できなかった理由は、そういう日本の持つ 「はぐらかし」 の体制が連合軍の厳しい告発をも充分に煙に巻きえるほどに機能していた、ということにもあったのではないか。他方、ドイツのナチスに対するベルリン裁判の場合、その支配・命令体制が整然とととのっていたため、告発・断罪も容易であったとの話を読んだことがあります。
 そういう、 「大将や首領をどうにかして守り通そうとする」 構造が、少なくとも、六十数年前の敗戦までには、存在していたということです。
 これは、大いにひるがえった話ですが、私が昔、当地で博士論文を書いていた時、日本の産業組織の発展史というテーマの中で、終身雇用や年功序列賃金を中軸とした、いわゆる日本型雇用慣行が歴史的にどのように形成されてきたのか、という着目がありました。それを欧米の研究者はよく、日本の paternalism (父権的温情主義)とか家族主義とかと説明していました。たしかに、あえて名づけるとすればそういうことだとはと思うのですが――学問はまず名前をつけ、それを分類するところから始まる――、それがどうして日本に特徴的に根付いていたのかということが疑問だったわけです。その際、自分なりの説明――ここには述べ切れません、失礼――を試みながら、何か、文化土壌というか同族メンタリティーというか、そうした、つかみどころのない背景の気配は感じていたものでした。
 ここに、そういう西洋的なあり方を 「明示的」 と言うとすると、日本のそれは 「黙示的」 といった言い方が可能であるでしょう。
 前回でも書いたように、確かに、昭和天皇裕仁は、あまたの天皇の中でも、ぬきんでた人物であったことは間違いないと思います。そういう彼が、祖父ゆずりの野心的な構想を実現しようとフルに活用したものは、上記のような 「日本的」 な一切合財でした。言い換えれば、そういう現実主義でした。

 ところで、訳読の現場にもどって、満州進攻の開始ですが、この1931年の出来事こそ、1945年に終わる 「15年戦争」 の皮切りであるわけです。そういう意味では、この開始にこそ、この15年間にわたる戦時態勢の内実が的確に反映されているはずです。つまり、著者のバーガミニにして見れば、そういう 「黙示的」 な総体について、それを 「明示的」 に表そうとした努力こそがこの著書であったはずです。換言すれば、そうであるから故、彼は、昭和天皇の断罪を主張する結果となった (本著に 「はじめに」 を寄せた東京戦犯裁判の裁判長のウエッブは断罪派の一人) のであり、また、そうであるが故、日本からは言わずもがな、母国の米国 (天皇の免罪を主張) からも疎んじられる結末となりました。  その 「黙示的」 なものを 「図示的」 に表すとすると、まず、繰り返し述べてきているように、その頂上の国家元首であるはずの天皇は、外的にはどこまでも隠れた存在を維持しつつ、宮中という権力の内側では、神的威厳を背に、その実権を君臨しています。
 その直下で、天皇以上に見えにくい存在が諸親王たちを主体とし、その手足となって動く軍部上層の将校たちで、それらはほとんど、スパイ的な不可視な実体です。まさしく、陰謀(あるいは深謀といってもいい)の手段を選ばぬ (頻繁なテロリズムを含む) 執行者――バーデン・バーデンの11選良、陸軍の三羽烏、そしてその他の 「特務集団」 メンバー――たちです。
 この見えない執行者の下に、公的で誰にも見える存在である機関の政府と国会が位置していたわけですが、その制度的、形式的な代表権をよそに、上記の見えない権力執行者の影響で、いわゆる民主的な国民意思の行使はことごとく抹殺されてゆきます。ことに今回の訳読の要所は、立憲君主体制を曲りなりにも実体化させようとしていた西園寺が、ついに刀折れ矢尽きて、裕仁への妥協を余儀なくされてゆくくだりです。
 制度的にはその下に、権力の強制力執行機関として軍部が位置しています。この部分は、上層支配権力の隠れた形態とは対照的に、きわめて顕示的で、過度にかつ意図的に可視的でもあります。権力の物理力行使部門として、その役割は加速度的に強化・上昇するのですが、軍部とはあくまでも命令あっての存在であり、その命令がどこから発せられているかについては、それは見せかけ上の司令官や軍部大臣にないことは、もはや明らかです。
 さて、その下の底部に位置するのが一般国民ですが、新聞の御用機関化と、テロの恐怖による圧迫に加え、バーガミニは今のところそれに触れてはいませんが、世界恐慌のもとでの失業や賃金低下の生活環境の中で、そのやり場のない不満を充満させています。
 満州事変とは、そういう背景のもとで実行された、戦略的第一歩であったわけです

 それではどうぞ、その 「訳読」 にお進みください。

 (2011年6月22日)


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