「両生空間」 もくじへ 
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    ボケ防止への一次プロジェクト



 まず最初に、今号の更新と 「両生空間」 の発行が遅れまして、深くおわび申し上げます。
 この遅れの原因は、直接には、引越しに伴う電話とインターネット再接続に予期しない問題が発生、予定外の日数を要したためです。
 そうではあるのですが、その遠因には、本年3月をもって取り組み始めているひとつの “プロジェクト” があります。それは、きたる8月20日で還暦を迎える (その日そのものは単に数字的なものですが)、その一生に一度の節目 (二度目の還暦は、いくらなんでもないでしょう) を迎えるにあたり、この区切りを契機にその実行を決心したものです。
 住居の移転はその一部で、家計支出のうちの最大の割合を占める住宅費を、身の程にも合わせていくらか節減するダウンサイジングの一方、居住性ではやや向上させる面もあるものです。こちらでいうダウンシフティングといってもいいのもでしょうか。
 で、このプロジェクトの主柱となっているものについてですが、それは、ある職人業の「徒弟修業」に入ったことです。

 話はやや迂回となりますが、私はこれまで、おそらく平均的にはめずらしい (いいかえれば変わり者) ともいえる、いろいろなことをやってきました。そうした諸経験は、ことに年齢が高まれば高まるほど、精神労働を主体とするものとなり、そうした仕事や勉学にかかわりつつ、自分の内のどこかに、なにか偏っていると思わせるものがずっとありました。
 それは、私にとって、手作業というか、体を使う要素が希薄なことからくる、アンバランスな感覚です。むろん、ある仕事が職業として成り立つには、理想的なバランスをもたせるのは至難なことでしょうが、他方、現代の仕事が、その精神労働の度をますます高めているのも事実です。
 また、現代の仕事においては、それぞれのビジネスが巨大化し、そのシステマティックさの度合いも深めています。つまり、個々の職務が、それだけ抽象の度を高めているといってもよく、人間的な実感から程遠い、ときにはグロテスクともいえる価値観に左右されたりもしています。
 さらに、私個人の性向として、何かものをつくることに喜びを見出すところががあります。子供のころから、親などから、「手先が器用」 とも言われてきました。たしかに、小学生のころ、工作の時間は私のもっとも楽しい教科でしたし、自分でも、家にある限られた大工道具を駆使して、いろいろなものをこしらえていました。大学で工学部に進んだのも、そうした性向と無関係ではなかったでしょう。
 そうした常日頃からの感覚が蓄積して、こうしたマニュアル作業への愛着がつのってきたのでしょう。
 そうした折、昨年半ば頃から、あと一年ほど先に迫った、ともあれ 「還暦」 という人生のひと区切りを前にして、何かの決断を問うものがありました。ただ、それは、いわゆる 「リタイアメント」 というものと無関係ではないのですが、自分の実情と照らし合わせてみると、ことに、数々の転職や海外生活の長さなどから、期待できる年金収入は微々たるもので、それに頼った生活などは想定外でもあり、つまるところ、年金をあてにしない自前のリタイアメント計画をつくる必要があったことでした。
 さらに、こうした 「還暦」 後への、思索的アプローチとして、この 「両生空間」 の発行をもすすめてきており、この作業を継続してゆく、時間的、精神的ゆとりも、あわせて確保しておきたい必要条件でした。
 そうした思いから、何らかの収入ある選択は必須で、かつ、かって選ばれなかった自分の未開の領域へのアプローチに可能性を開き、そして、主に、早朝から午前中に当てている (私にとって、頭脳労働に最も生産的な時間帯) 「執筆」 の時間の確保、の三点を前提条件にして、進路探索が始まったわけでした。
 
 その結果、具体的選択肢として浮かびあがってきたのが、以下の三つの分野でした。
 (1) 経済記事翻訳者――これは、インターネットを通じたオンライン新聞の仕事で、オーストラリアの経済関係記事を翻訳し、速報するもの。年齢を問わずにフルタイムの仕事での募集がありました。収入面では最も期待できそうなものでしたが、これまでの作業の延長といっそうの賃労働化にすぎず、新規性に乏しいものでした。
 (2) 建設業見習い――私のこれまでの経歴と密接に関連し、かつ、マニュアル作業の要素も含むものでしたが、可能な働き口はすべてフルタイムであることが難点でした。また、実際に、知り合いの建設の組合役員にも尋ねてみましたが、私のような 「高齢者」 は対象として考慮されていないと否定的でした (最近の人手不足から、政府、業界ともに、中高年者の参入をも考慮する制度的変更が検討されはじめており、近い将来には可能になるかも知れないのですが)。
 (3) すし職人見習い――これも求人広告にその機会をみつけたもので、新居住地からさほど遠くない、すしを専門とする日本食レストランでのもので、地元客の広い人気を集めている店でのものでした。夕方から夜のみの労働時間はまさにうってつけでしたが、ただし、収入面では、当面、もっとも低いものでした。
 
 熟慮の結果、私が選んだものは、(3)です。
 幸い、面接にもパスし、二週間ほどの見習いの試用期間をへて、正規の見習いとなってすごしてきています。
 まったくの未経験の分野に、若者たちに混じり、「還暦プロジェクト」 としてハンディー覚悟でのぞんでいるわけですから、切れ味の悪くなった心身には大変にハードなところがあります。
 しかしその一方、「食」 という、私が近年、日常的関心事として取り組みを深めてきた分野での経験ですので、見るもの聞くもの味わうもの、そして匂うもの触れるもの、すべてに興味がわきます。また、趣味程度の関心や努力など木っ端微塵にしてくれるプロの世界での体験ですので、目下の主な仕事は食器や調理具洗いなどの 「片付けごと」 ながら、並々ならぬ厳しさが叱咤を与えてくれています。
 そうした、この年齢としては稀有な体験を始めつつ、ふと、かって真新しい山にとっついた時にも、こんな感じが伴っていたなと、久しく忘れていた体感覚を思い出し、どの地図にもないこの 「新山」 への登攀を開始しています。
 私は、こうしたチャレンジは、究極はボケ防止に結びつくと考えており、休眠化しようとしている私の脳に活をあたえ、また、願わくば、これまであまり使われてこなかった、私のうちの隠れた技量をも引き出す効果のあるものと、ひそかに期待しています。さらに、今回の両生学講座に述べているように、ボケは、ひっとすると、「生活習慣病」であるのではとも考えられ、そうした観点での習慣改善のねらいも兼ねているものです。
 しめて、「ボケ防止への一次プロジェクト」です。
 オーストラリアにまで来て、すし職人見習いというのも、見ようによっては皮肉な至りつきですが、魚を主食材とするすしが、肉生産の大国である当地でも、健康フードとして人気を広めていることは確かで、それをすし食の国際化の一現象と捉えてみれば、私の判断も、偶然でも、酔狂でも、先祖返りでもない、そうした流れにあってのしごくありうる選択であったのではないか、と思っています。もちろん、「本場」仕込みではありません。
 「脳の健康、10の維持法」の第9項目にも述べられていますが、「新しい技能の習得を継続して挑戦しつづける」 ことは、脳の健康には有効であるようです。
 こうした新生活に入ってまだ三週間ですが、何か、私の脳の中で、新たな変化がはじまったような気がしています。また、この間で、増え気味だった体重に、2キロほど逆向きの動きも始まりました。
 
 (松崎 元、2006年3月24日)
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