「天皇の陰謀」 もくじへ 
 「両生空間」 もくじへ 
 HPへ戻る
 

<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第90回)


日本的」美学か


 先にも述べたように、私はこの訳読作業をオーストラリアで行っています。そして、この作業は、いまや佳境にさしかかっており、その記述は、太平洋戦争における日本軍が、攻勢から守勢に逆転する、1942年の半ばを扱っています。そこで私にとって興味深いのは、当時の日本軍の進攻の最遠の標的地がここオーストラリアであったことです。当時の戦略計画によれば、日本の南進に対する連合軍の反撃の拠点となるオーストラリアを、孤立させる、つまり 「米豪分断」 のねらいがありました。つまり、私は今、当時、侵攻される側にあった場において、この作業をしているわけです。
 たとえば、今回の訳読で、日本軍がニューギニアのブナに上陸したとの記述があります。当時、日本軍は、同島の東北岸のこの町から、東西に走る山脈を越えて南岸の都市、ポート・モレスビーへ向けて進軍したわけです。
 この険しい山越えのルートは、オーストラリアでは、その途中の町の名をとって、「ココダ・トラック」とよばれ、大戦中の記憶を呼び起こすひとつの名所となっています。今日では、このルートは一種の登山道として整備され、若い人たちを中心に、自分の肉親を含む、かってのオーストラリア兵の辛苦を追体験し、かつその戦死者を悼む巡礼地ともなって、少なくない訪問者を迎えています。
 この「ココダ・トラック」では、日豪両軍で、同じような辛苦と戦死者を出したはずですが、日本側からのそれに匹敵するような関心も訪問も見られないのは、残念でさみしいことでもあります。オーストラリア側では、それを忘れまいとするベクトルが働いているのに対し、日本側では、それをあえて忘れようとするかのベクトルが働いているようです。

 いきなりなのですが、どこの国の歴史も、表面的に理解されているものより、その真実ははるかに複雑なものなのでしょうが、日本のそれも例外ではないようです。ことに、この大戦争のトップレベルでの戦略判断――開戦から終結までの判断――をめぐって、私は、いまのところまだ、その輪郭も描き切れないのですが、深い謎を感じます。
 たとえば、今回に登場してくる、吉田茂をリーダーとする 「和平派」 の動きです。その根本的司令は、日本側から発せられていたのか、それとも、外からやってきていたのか、ということです。端的に言えば、吉田茂は、日本の工作者であったのか、それとも、英米の工作者であったのかどうか、という疑問です。
 スパイ小説ではありませんが、もっとも優秀なスパイとは、二重、三重の顔をもっており、そのどれが最終的狙いなのか把握しきれないものですが、この日本が西洋を相手にした大戦争においても、そのもっとも高いところで、高度な “スパイ” 合戦が展開されていたのは間違いないでしょう。
 まあ、これを 「スパイ」 行為と見るかどうかは議論の別れるところですが、明治の 「和魂洋才」 にしても、相手から重要な部分を盗み取ってくるという意味では、まことにもスパイ的です。
 それに、明治以来、日本の支配者層の子女は、軍人も含め、ほとんど、欧米のトップクラスの学校に留学しています(古代では、 「遣唐使」 というのもありました)。そうした御曹司たちの外国経験は、それをもって、外国の知見を持ち帰ったのか、それとも、スパイとなって戻ってきたのか。
 日本では、「スパイ」 と呼ぶと、それは悪いことのように受け止められがちですが、 「孫子の兵法」 以来、戦いの奥義は情報です。また、高度な知性というものは、多義な顔を持つものです。そういう意味では、スパイなのか、国の指導者なのか、なかなか見分けがつかないというのが終極的実像でしょう。
 ともあれ、戦争を始める以上、国家の指導者としては、それが勝利となろうと、敗戦に終わろうと、落としどころは考えての事柄であり、本訳読の舞台も、いよいよ、そうした詰めの段階に入りつつあります。

 さて、話は変わりますが、それは、タイトルのように、 「日本的」 な美学と呼んでよいものなのか。
 たとえば、日本の社会では、 「かぶる」 行為が高く評価される傾向があります。すなわち、ある処し難い問題が生じた時、その処理をめぐって、制度とか、決りの上では黒白のつかない問題を、誰かが個人的にその処せない部分を 「かぶって」 、なんとか恰好をつける、といった慣行です。
 私はそうした問題の東西比較の専門家ではありませんが、西洋社会では、そうして処理ができないのは、あくまでも、そうした困難が発生している組織や制度の問題であって、それを個人でなんとかするのは、一種の “すり替え” や “ごまかし” ではあっても、あるべき解決法とは見なされることはまずないでしょう。
 また逆に、制度や決まりが役にたたない困難な時に、そうした制度や決まりを越えた高い次元での判断を実行するのが 「リーダーシップ」 であり、それをなす人物が 「英雄」 です。
 そもそも西洋社会では、組織や制度は、その各々の部分の役割や責任が明確に定義されていて、組織の長とは、そうした諸部分をたばねて、総合的な判断やその結果の責任を負うものとされています。つまり、きわめて分析的で明示的です。もちろん、現実問題として、時に、予期せぬことは生じますから、そうした想定外のことは、危機管理とか、コンティンジェンシーの問題とかとして、あくまでも組織や制度の問題として扱われているようです。
 つまり、日本の社会では――近年では、たとえば 「危機管理」 といった言葉は広く用いられるようになっていますが――、そうした想定外で、処理に余る問題の扱いにあたって、それが属人的に扱われる傾向があると言えます。言い換えれば、そうした予期せぬ問題を “予期する” ために多大な時間や精力を割くより、いざという時には、人間の側がそれに柔軟に対応して、それを処理しようとの発想です。
 言ってみれば、難題をかかえた 《全体》 のために 《個人》 が犠牲となることであり、それをいいことだとする、日本的美学であるかのようです。
 西洋人の目から見れば、そうした、明示的でなく、個と全体があいまいに行き来する社会を、ヒューダル(封建的)と、いまでも表現します。
 考えてみれば、問題の立てよう――個と全体の融合があってもいいではないか――しだいでは、それはそれで “合理的” である、と言えなくもありません。
 むろん、そういう発想には、分析とその統合という、ダイナミズムが働きにくい欠陥は前提となります。
 さて、そういう個人が 「かぶる」 という “美学” の実例が、今回の訳読の末尾に見られます。東条首相が、 「三つ目の帽子」 をかぶることになるというくだりです。
 ただ、それを批判的な視点から見れば、当時、そうしてじり貧になりつつある日本の政治と国家運営が、その辻褄合わせに選択している場当たり的対処がゆえのものと言うことも的外れではありません。
 読者はそれをどう判断されるか、それでは、今回より始まった新しい章、「崩壊する帝国」 (その1)、へご案内いたします。

 (2013年5月7日)


  「天皇の陰謀」 もくじへ 
 「両生空間」 もくじへ 
 HPへ戻る
 

          Copyright(C) 2013 Hajime Matsuzaki All rights reserved  この文書、画像の無断使用は厳禁いたします