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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第53回)


ブルジョア革命以前

 私がまだ若々しき頃に読んだ本の中で、かって、明治維新はブルジョア革命だったのか、それともプロレタリア革命だったのか、といった有名な議論があったことを知りました。私の理解では、その議論に結論は出なかったようですが、私は今、こうして訳読を続けてきて、どうも、そうした議論は的外れだったのではないか、と思えてきています。つまり、明治維新は、もし順序があったとすれば、それら以前の、権力争いのクーデタだったのではないか。つまり、ブルジョア革命にもなっていなかった。以前にも書きましたように、それは、王政復古だった。
 今回の訳読では、中国をめぐる世界の帝国主義間の確執として、日中戦争突入前の、日本と欧米諸国との間の駆け引きが描かれています。
 その中で、ことに注目されるのが、日本の宮廷とビジネス界との対立です。どちらも、中国への食指の点では変わらなかったはずですが、西欧諸国を全面的に敵に回すかどうかどうかをめぐって、見えにくいながら、確かな対立がありました。
 言ってみれば、ビジネス界にとって、自分たちと宮廷と、自分たちと欧米勢力との、二つの距離間を比較した場合、後者の方が小さかったのではないか。ことに、金儲けをしてゆくスケールやスマートさという意味では。つまり、欧米勢力をブルジョア革命後の勢力と見れば、ブルジョア同士として、両者に親近感があった、というわけです。もちろん、日本のブルジョアは、王権を倒してはいない、生煮えのそれであったがゆえに、足元をすかされてゆきます。
 同じ帝国主義同士であったとしても、方やブルジョア革命を経た資本主義的帝国主義と、方や、封建主義の名残を引く絶対主義的帝国主義の違いがそこにあった。
 そうであるからこそ、宮廷に反目するビジネス界が、暗殺という暴力の行使でもろくも揺すぶられてしまった。ましてや、労働者階級の声など、虫けら同然の話――つまり治安維持法という絶対否定の範囲の話――でした。
 私個人の感覚ですが、5・15や2・26といった昭和初期の騒動が、若手軍部の叛乱とは聞かされていたものの、一体どういう意味を持っていたものか、どうも判然としませんでした。それもどうやら、上記のような脈略の話であったようです。

 それでは、その人殺しの横行する時代に入ってゆく、訳読の最新部へどうぞ。

 (2011年10月5日)

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