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<連載>  ダブル・フィクションとしての天皇 (第11回)

ますます身近な訳読作業


 こうして 「訳読」 を続けている最中、日本からの報道に目を通すと、現平成天皇即位20年のニュースがありました。
 この原作は、その父親である昭和天皇をテーマとしているのですが、そのストーリーには、当然ながら、皇族としての様々な人物が登場してきます。
 私はこの訳読作業の必要から、たとえば、英語で 「uncle」 とあっても、日本語では 「叔父」 あるいは 「伯父」 と訳し分けなければならない必要があるなどして、皇族の家系を調べることとなります。
 そこで気付かされたことなのですが、皇族の何とも子だくさんなことで、10人くらいはざらのことで、多い場合などでは30人を越えており、今日の平民の常識からすると、まったく異世界の様相を感じます。しかも、その母親の名は何人にもわたっていることです。その身分にはいろいろな呼び方がある(あるいは後の格上げもある)ようですが、要するに、妾です。そうした実態を知るにつけ、下品な言い方とはなりますが、 「やりまくっている」 とでも表現したくなるような産ませ方です。
 ただ、正確を期しておくと、大正天皇以来、その後三代の天皇の子供は、すべて正式な皇后の生んだ子で――だからと言って、必ずしも妾が存在していなかったことではないのでしょうが――、そういう意味では、私たち庶民の常識ともそれほどかけはなれてはいないと言えます。
 むろん、昔にそれほど子だくさんであったのは、時代がら、あるいは、家系の維持上、そういう必要があったが故なのでしょうが、いわゆる 「万世一系」も、そうした “異様な” 努力の結果であったことは確かでしょう。

 ところで、今日、私を含め、こうして存在している一人の人間である以上、そこには、私に至る血の繋がりは、そのどこにおいても一度たりとも途切れたことがなかったという、生物としての綿々とした連続性があったからこそといえます。そこに、私の祖先が子だくさんであったとの事実も言い伝えもなく、ほとんど常識的な子供の数だったはずです。つまり、そうであっても、私に至る「万世」 はあったわけです。
 むろん、私には子がなく、この家系の枝はここで途切れます。そこに、いかなる手段をこうじても子を残せとの声はどこからも聞こえてきません。要するに、血を連続させる必要とは、血という手段をもって、人為的に何かを継続させてゆく必要があったが故なのでしょう。思うに、それは権力であり、名誉であり、財産であり、あるいは、そうして出来上がってきた伝統であったのでしょう。いずれにせよ、この私にはあまり縁のない、歴史の向こう側の話です。つまり、そうまでせずとも、自然な状態のままでも、民族全体の連続性は繋がってゆくということです。

 今回の訳読では、もうひとつ、驚かされたされたことがあります。それは、私の実際に面識のある人物がこの 「歴史物語」 に登場してきたことです。
 その人とは、都留重人氏で、二年前に故人とはなられましたが、それまで、私が帰国のたびにほとんど、こちらで続けている “事業” の関係から、オージーの友人と共にお会いしてきた人です。
 そんなこと、あるいは、現天皇即位20年のニュースに接しても、この原作は40年ほども昔の作品ですが、この訳読作業のある意味での 「身近さ」 を、ますます感じさせられています。
  では、今回の訳読へとご案内します。
 

 (2009年11月14日)


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