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 第三期・両生学講座 第6回


「究極の"民営化"
「グーグル・シナプス効果」



 私は今年の6月1日号の 『私共和国』 に、 「究極の “民営化” 」 というタイトルで、明治維新つまり 「明治王制復古」 というものが 「一国のまるまるの民営化」 だったのではないか、ということを述べました。
 本稿はその 「究極の “民営化”」 の続編にあたるもので、その後に進展してきている 「訳読」 をふまえて、昭和天皇裕仁が行ったことは、その 「究極の “民営化”」 の延長であるばかりでなく、それは、 《三井、三菱、住友、そして天皇》 と並べ記すに値する、その三大財閥にも相当、あるいはそれをも凌駕する、 「王族ビジネス」 であったのではないか、というものです。
 そして、タイトル二つめの 「グーグル・シナプス効果」 とは、グーグルの検索結果がもたらす、思考のヒント付け効果といったものです。すなわち、あるキーワードを用いた検索の結果、それこそ幾百、幾千もの該当項目が表示されるのですが、それらを見渡していて――むろん全部は見切れませんが――得られる、知識のリンク付けの働きです。この効果は、私たちが日常に経験する、ある瞬間にピーンと光ってやってくる思い付きに相当する、脳内のシナプスによる知識の編集と類似した働きが、グーグルの検索結果の諸項目――それらはヒット数による羅列に過ぎないのですが――をながめていてやってくる、これも一種の知識の編集効果、すなわち、私がそう呼ぶ、 「グーグル・シナプス効果」 です(そのうちグーグルがプログラム化するかもしれない)。

 さてそこで、この二つのタイトルを互いに関連つけて説明しますと、それは、 『天皇の陰謀』 の 「訳読」 を進めていて、それがいよいよ、裕仁の摂政から天皇即位へと移ってゆく中で、彼の一国のリーダーとしての本領が発揮されてゆく過程のなかに、ひとつの発見があることです。
 原著者バーガミニの記述ではさほどの分量はさかれていないのですが、大正末期に外務大臣や首相をつとめた、加藤高明という人物がいます。その彼について述べている原文を訳していて、一度荒訳はしてみたものの、どうも意味がつながらず、おかしいなと思っていた個所がありました。
 本文では、1926年1月28日に、彼が死ぬくだりなのですが、それを著者のバーガミニは、シェークスピアの 「ハムレット」 の中の言い回しを使って婉曲的に 「死んだ」 と表現しており、そんな知見もない私は、最初、その言い回しの真意が見抜けませんでした。
 ところでこれは余談ですが、翻訳作業とは物事の推理作業とも似ているところがあります。つまり、訳をしながら、意味のとれる文脈を延々とつないでゆくのですが、時にその意味が何ともつながらない、あるいは意味が判らない個所に出くわす場合がよくあります。そこで推理を働かすこととなるのですが、そういう場合、たいがい、そういうおかしな個所というのは、私の訳が誤訳であったり、意味の取り違いであったりしているわけです。当たり前なことですが、原文がそんなおかしなことを述べているわけはなく、それなりの筋が通っているはずで、おかしな訳となっているのは、その筋を見落としてしまっている翻訳上の稚拙さの証拠であるわけです。
 今回の場合、その 「おかしさ」 にぶつかっていて、やがてその1926年1月28日という日付がその加藤高明の死亡日らしいことに気付き、それを確認するため、 「加藤高明」 をキーワードにグーグルで検索してみました。すると確かに、彼の没日はそうなっており、その確認はできたのですが、羅列される他回答の中に、ふと目にとまるものがありました。それは、三菱グループのサイトからの引用で、 「三菱人物伝」 と題したコーナーに彼が挙げられているのです。英語原文では、当時の政界での彼の動きについては記述されているものの、彼のビジネス界との関係はほとんど触れられていません。そこにこの 「回答」 が予期なくふってわいたのですが、それは私にとって、新たな発見、あるいは、新証拠でした。そこでその 「三菱人物伝」 を当ってみますと、こうありました。
 ちなみに、岩崎彌太郎とは三菱創設の主ですが、その娘を妻とした “男版玉の輿” たる彼の三菱への貢献のこれ以上の詳細については、その原文に当っていただくとしましょう。
 さてそこで、その彼が当時の政界でどのような活躍をしたかについてですが、彼は首相として、その死の前年、普通選挙法と抱き合わせて治安維持法を成立させているのを見ても、彼の存在の当時にあっての意味というものを推し量れるわけです。そういう次第で、私としては、今回、この三菱グループ側からの彼の評価に接した瞬間、ピーンとくるものがあったわけです。
 そこで、以上のような、グーグル検索結果を通じて起った効果――この件だけでは終わりません――を、私は 「グーグル・シナプス効果」 と称して、私の準頭脳作用に借用させてもらっているわけです。

 そこでそのピーンときたものです。ここでタイトルの第一点、 「究極の “民営化”」 の続編に戻りますが、そういう、三菱にとっての 「ゆかりの人」 を首相にさせたのは、制度上でも実態上でも、それは間違いなく裕仁であり、三菱とともに、あるいはそれ以上に、 「王族ビジネス」 を太らせて行ったのも彼であったわけです(天皇家は世界筆頭の資本家となっていった)。
 これは私の反省なのですが、三菱を資本家として見ない人はいませんが、天皇を資本家として見通す視点は、私には欠けていました。むしろ、三菱などの財閥以上に、天皇となれば、日本の国家的資源を、それこそ、国民を皆兵にし、しかもその全員が 「天皇陛下万歳」 とまで命を投げ打つ覚悟の大組織にまで改組することが可能であったわけですから、そのビジネス上の効果は桁違いのものがあったでしょう。
 考えてみれば、戦後の “日本株式会社” ――社員の生涯の、時には生命(自殺の含めて)までもの、献身を特色とする――も、そうした 「王族ビジネス」 をモデルにしたものと、受け取れなくもないように思えます。
 また、私個人に終わらず、戦後の我国全体にわたっての昭和天皇についての捏造されたイメージは (別掲の「フィクション」の深さの程参照)、こうした見誤りを引き起こさせている、重大な原因でもあります。
 バーガミニも、この先の記述で、同様な視点を展開してゆくものと期待されますが、政治的あるいは宗教的存在としての天皇家以上に、経済的、資本主義的存在としてのそれにも注目したいと考えているところです。

 (2010年10月27日)

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