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 連載小説



メタ・ファミリー+クロス交換
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偶然






 モトジの心の底に永く沈んでいた子無しというやり場のない欠落感は、そうして、絵庭やヒロキとの出会いによって、つかの間ながらも擬制のファミリー意識を交換するものとなって、モトジの還暦後の生活環境に、以前では予想も想定もできなかった、新たな色合いと世代的立体感を添え始めていた。

 絵庭と一歳年上のヒロキとは、それは同じ世代がゆえの親近感ほどのものに過ぎないのだろうが、モトジが見るところ、妹と兄と受け取ってもよいような、開けっぴろげな近しさを漂わせていた。それに、二人は互いに異性として意識し合ってもよい年関係にあったのだが、一方は結婚しているし、他方も日本に彼女がいるということで、自然な平行線を保っていた。そういう二人のせいか、モトジの目には彼らが、兄妹と解釈してもいいようなさらっとした関係に映っていた。

 その日、モトジが図書館通いでシティーに出るついでに、われわれ三人いっしょで晩飯でも食おうということになっていた。
 絵庭の働く百貨店の従業員出入り口で待ち合わせ、三人で近くのレストランに入った。30席もないようなこじんまりした日本食の店で、狭苦しいテーブルや椅子の配置だったが、ほどほどの値段が入りやすさとなっていた。
 ヒロキは、いつものよれよれのジーパン姿で、どこから見ても余裕のある生活をしているようには見えなかった。いつ会っても痩せていて、ろくな食事もとっていないようだった。その日も、店で選んだメニューは腹の足しになるようなものばかりで、さらにそれにご飯を追加していた。
 彼は、田舎のフルーツもぎからシドニーに戻ってきて以来、日本食品の輸入業者に仕事を見つけ、注文品の配達をして熱心に働いていた。その働きぶりに雇い主も満足しているという話だった。ただ彼にしてみれば、そうして車で走りまわる場はオーストラリアのシドニー一帯であったとしても、そこでしている仕事の内容は、以前に日本でフリーターをしていた時のそれと大差はなかった。それに、なんとかワーキングホリデーの一年延長は獲得できたものの、早くも半年ほどが過ぎていた。モトジは彼が今後をどうする積りなのかを聞くことを、この会食の目的のひとつとしていた。
 オーストラリアばかりではないだろうが、ワーキングホリデー、俗にいうワーホリという制度は、事実上、低賃金労働者の供給システムとなっている。オーストラリアでは時給15ドルほどが法定最低賃金なのだが、ワーホリの賃金はそれ以下の、よくて12ドルそこそこが常識だった。ヒロキのそれも、一週間フルに働いても、安宿に寝起きし、つつましい生活を徹底して、それでようやくわずかな貯金をしてゆくのがやっとといった程度のものだった。
 ワーホリが切れた後はどうする積りかと聞くと、とりあえず英語学校に入って、学生ビザで行きますと言う。いわゆる、ビザ取りのための就学で、勉強は建前にしかなりかねない学生である。
 オーストラリアでは、学生であっても週20時間までは労働が許される。そのため、ほんとうは永住ビザを取りたいのだが、英語力とか資金力とか経歴とか、その申請が射程距離に入るまでの間、学生ビザで当面の入国許可を得つつ、制限をはるかに超えるもぐり労働をして暮らしている若者たちが何万人もいる。むろん、彼らの賃金は最低賃金以下である。いわば、ワーホリばかりでなく学生すら、低賃金労働力の供給源となっている。それが、先進国といわれる国々のきれいごとでないひとつの実相である。
 それでもワーホリは、先進国同士の相互協定による制度で、相手国には限りがある。そういう意味ではその流入は無制限ではないし、毎年の受け入れ数の上限がもうけられている。しかし、学生ビザの場合、その対象国に制限はない。世界のあらゆる国から、所定の料金さえ納めれば、まるで入場料を払ったお客さんとしてやってこれる。ことに発展途上国からは、将来の永住をねらって、必死の覚悟をもった 「学生」 という名の移民予備軍がおびただしい数で流入し、そして、それを受け入れ、ある意味で食い物にしている、様々な種類の私設学校がある。そうしたビザ取り学校の学生は、学生という名は同じでも、本来の学問が目的の留学とはその動機や目的は根本的に異なっている。しかも最近は、中国やインドという巨大人口国からの学生がうなぎ登りで、その供給源たるや、オーストラリアのような人口小国にしてみれば、もはや事実上の無制限である。
 ヒロキも、いつまでも氷河の溶けない日本に嫌気をさし、意を決してオーストラリアに渡ってきたのだが、今度は、国内的ではない国際的な生存競争に加わり、肌の色も、考え方も、デスパレートな度合いも大いに異なる、そうした国際低賃金労働予備軍に加わろうとしている。
 モトジは、そうした 「ビザ取り学生」 で何年も生活している日本人を幾人も知っていた。学ぶ内容は何であれ、授業料さえ納め続ければ、一応、幾年でも滞在し続けることはできる。日本に帰りたくもないし帰れないという人たちが、そうして万年の学生兼低賃金労働者となって、オーストラリアの底辺周辺で暮らしている。そこからの脱出はまったく不可能ではないとしても、それも、条件がそれほどまでに整った上での話だ。要は、彼らの多くはあてどもなく働き続けなければならず、いわば体の好い被差別労働者に自らすすんでなっているようなものである。
 ただ、オーストラリアには、景気には左右はされるが、制度として不足職種の教育訓練をする学校の卒業生に永住ビザを与える枠はある。つまり、そういう意味では、外国人を確かに欲しがっている。ただ、それはだれでもいいというわけではない。労働力として有用無害な人のみに限ってとり入れたいのだ。そこで、教育というスクリーンにかける。しかもその費用は本人負担で。むろん、ビザ支給の前には無犯罪証明も要求される。入れる側にしてみれば、当たり前の賢明な選別の論理であるのだろう。
 ともあれ、入れてくれる口があるなら、移民予備軍はそこに殺到する。そうした人不足な職種に労働力を供給する専門学校の授業料は、したがって英語学校のそれとはちがって高くなる。これまで、料理人学校はその役目が与えられ、その殺到する移民予備軍の最大の受け口のひとつとなってきた。だがその職種も供給過剰とみなされ、一部は悪質学校と摘発を受けて潰され、今年からその枠自体も撤廃された。幾つかの学校も閉校されたり縮小されたりして、将来の見込みを失くしたたくさんの留学生たちが、詐欺にかかったと怒りつつ、しぶしぶ帰国して行った。
 かく、ヒロキのゆく先は決して明るくない。まして彼は、日本にいる彼女を呼びたい気持ちもあるようだ。その彼女は韓国人で、来春、日本の大学を卒業するらしく、それと同時に日本に滞在できなくなる。日本で就職するのは至難の業だけにオーストラリアに呼びたいようだ。だが、その彼女がオーストラリアにやってくれば、彼と同じ問題を二重に抱えることとなる。しっかりとした計画とその準備なくしては、彼の将来はみるからに危ない。いつの日かオーストラリアを断念し、脱出してきたその現実の待つ日本に、すごすごと帰らざるをえないことにならないとは誰も断言できない。
 彼は、英語学校の授業料までは自分の貯金で払える見込みだという。しかし、それから先の手立てはないようだ。今働いている日本食品会社では、社長の気には入られているようだ。その会社がスポンサーとなってくれれば、一定期間の労働ビザの獲得は不可能ではないかもしれぬ。彼はそれも暗に期待してもいるようだ。だが、それでも一年か二年働けるようになるだけで、永住ビザが得られるわけではない。

 絵庭は、そうした我々の話を静かに聞いていた。
 彼女の場合、オージーと結婚し、いまはまだ過渡的なビザのはずだが、時間の問題で正式な永住ビザが下りるだろう。彼女にとってのビザ問題は、それまでにその結婚が破綻しない限り、ほぼ解決しているとみていいだろう。
 このようにして、モトジが首をつっこみ始めようとしているこのメタ・ファミリーには、オーストラリアで暮らしてゆく法的基盤であるビザ問題からして、基本的な明暗がある。生物学的関係で結ばれたファミリーの場合なら、親の永住権がある国なら、普通、その子の永住も許されるようだ。だが、こんなメタ・ファミリーの場合はむろんその限りではなく、それは一種の選択、いわば個人の好き勝手の問題であって、その関係者の努力次第ということとなる。
 そうしてモトジは、自分が彼らの、生物学的でも、法的でも、事実上においても、親でも親戚でもでないことは百も承知ながら、こうしてたまたま出会った彼ら彼女らを子とする、自分の親もどきな役割を考え始めていた。
 自分が彼らの年齢であったころ、日本社会はまだまだ成長過程にあった。当時、そういう言葉はなかったが、モトジも “フリーター” の身分を体験していた。だが、それからの脱出はできた。それは一時的なモラトリアムですんだ。事実、結婚もできたし、自宅の購入も可能だった。しかし、いまの日本は、そこから脱出できない若者たちを無数に生みだしている。モトジにとってヒロキは、あの頃のフリーターをして歯を食いしばっていた自分に思え、その自分がいま目の前にいるように思えるのだった。

 それから幾週間かして、やはり図書館通いでシティーに出たついでに、モトジはヒロキと二人だけで会った。
 食事をし一杯やりながら、モトジの描いたある構想を彼に伝えた。モトジが彼に奨学金を提供しようという話である。
  「えぇー、それ、マジですか」 が、彼のまず第一の反応だった。だが、たしかに驚き、とまどいはあるようだったが、彼はどこか嬉しそうであった。また、即座に辞退したいような様子も言葉もなかった。
 ただ、当然ながら、どうしてですか、との質問がでた。モトジはそれに、次のような内容の返答をした。
 自分も昔、それはオーストラリア政府からだったが奨学金をもらったことがある。税金から出る奨学金でも、個人の懐から出る奨学金でも、いわばもとの金の出所は同じだ。お金は廻りものだとの話もある。今度は自分が出す番なだけだと考えている。そうした返答だった。ただその時は、その額や条件など、具体的なことにはまだ触れなかった。

 つづく
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                  Copyright(C), 2010, Hajime Matsuzaki  この文書、画像の無断使用は厳禁いたします