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私共和国 第28回



ハトから“クサ-カン”ヘ


 前回の 「究極の “民営化” 」 に、鳩山政権の 「足元が見透かされている」 と、6月1日付けで書きました。するとその二日後の6月3日、鳩山首相が辞任し、8日、管新首相へと国のリーダーが交代しました。
 まず、本稿の結論から先に述べておきますと、ちょっと 「我田引水しすぎ」 やに聞こえるかもしれませんが、この “ハト” から “クサ-カン” への交代は、それにも拘わらず、あるいは、それが故に、前回でのべた、天皇制にからむ 「二重の縛り」 ――日本を自閉症にさせている病因――がいっそうに見えにくくなりつつある、へたをすると、元の黙阿弥に逆戻りしかねない、というものです。

 まず、 “ハト” の墜落までをたどります。
 
報道によれば、鳩山首相の辞任をまねいたものは、 「迷走」 を重ねた普天間基地移設問題の扱いの失敗とされています。
 しかし、なぜ、それが失敗することとなったのか。それは、そうした報道―― 「最低県外」 と自ら墓穴を掘った――が言うような、鳩山首相の自演自縛芝居が故ではないでしょう。
 私の理解するところでは、そこにはまず、民主党政権による米国オバマ政府の軍事・外交政策の読み違いがあったからなのですが、問題は、それがどうして読み違われたのかです。
 そもそも、民主党への圧倒的支持をもっての政権交代には、同党が掲げた 「日米の対等関係」 構築への、国民の、おっかな気ながらも、少なくない期待があったことが、その一因として挙げられます。また政権内部では、おそらく、同基地の移設先は、県外どころかグアムへの移転すらありうる、との読みがあったと思われます。それは、米国自体の外交専門家からも、 「県外移設」 の声が響いてきている情況があったからです。そしてこうした声の背景には、2001年の9.11以来、国防省が本腰をいれていた 「トランスフォーメーション」 と呼ぶ、その米軍の大規模な変革・再編構想――兵器の一層のハイテク化を図って米軍をスリム化し、世界に分散する基地を幾つかに集約する――があります。その動きに従えば、普天間基地の 「最低県外」 くらい、さほど非現実的な要求ではなかったはずでした。
 しかし、その後、ブッシュ政権は倒れ、また、イラクの凱旋につづくはずだったアフガンが逆に泥沼化し、オバマ政権の誕生とともに、どうやら、その 「トランスフォーメーション」 構想自体、見直しが図られ、従来型構想の維持 (ことに海兵隊の配備においては) となっている模様です。また、初の黒人大統領と華々しく登場したオバマにしても、実務結果が問われる段階となって、医療保険問題にみられるような内政重視へのいっそうの傾斜をとらざるをえず、軍事戦略あるいは外交上の変革が薄められる――そんな余裕がなくなっている――情況が見られます。つまり、そうした相手米国側の事情に十分コミットしていなかったのが鳩山政権だった、ということとなります。

 さて、そこでなのですが、そうした相手側の事情もさることながら、本来なら、そうした相手国の内部事情の変化、ことに本国政府と相手政府間に認識のずれがあった場合、それを適切に指摘し調整するのが、外務省であり、現地大使館の役目であったはずです。しかも相手は米国という日本にとっては最重要国との間の問題で、そこに決定的な行き違いなど、決してあってはならない事態であったはずです。ところが、そんな生じべからざることが生じて、あたかも、その最重要外交事項である日米関係をこじらせてしまったかのごとき罪状をきせられて、その飛ぶ勢いであったハトが墜されてしまったわけです。どうもこれはうさん臭い。なにか裏がありそうな話です。
 そこに、現民主党政権のもう一つの重要政策、 「官僚依存からの脱却」 との絡みも見過ごせません。そして、その官僚の最たるもののひとつ、外務省による、そうはさせじとの熾烈な破壊工作も、ないわけがありません。たとえば、かって、一人でその外務省改革をこころみた角栄の娘の田中真紀子大臣が、外務官僚たちの結束した大臣いじめに会って、みごと敗退させられた話が思い出されます。
 ワシントン側からのレポート ( 「爾後、鳩山政権ヲ相手トセズ」 『文芸春秋』 2010.年6月号) を深読みすれば、鳩山政権が、二重のねらい――新対米政策の推進および官僚依存排除――から、外務省のもつ既存のルートを頼らず、自前の非公式ルートを駆使したものの、それが、現地事情を知りぬく大使館の工作によって、機能しないよう、失敗するようにと仕向けられ、それによって、この 「読み違い」 が意図的に作り出された舞台裏が見えてきます。つまり、 「脱官僚」 がゆえ、従来の外務省ルート依存を克服したかった鳩山首相側と、従来の実績と実力の見せ場を作ろうとする外務省官僚側との暗闘の結果、後者が勝利したという顛末でしょう。

 そこでですが、本稿の冒頭で、この 「ハトの墜落」 を、天皇制にからむ 「二重の縛り」 の結果と見ると予告したのですが、それはこういうことです。
 
まず私は、どうも日本の外務省の体質は、どこか皇室の体質に似ているところがあると感じてきています。何と言いますか、どちらも、あるタブーと陰湿な自己保身本能をその深部にかかえており、共にその暗部に支配されて動いている――決して開かれてはいない――、そんな受止め方をせざるをえないからです。
 まずはじめに、私が直接に面会したり、その著作で接した数人の元外務省外交官、つまり、定年退職ではなく途中退官として外務省を辞めた人たちの見識から受け止められる、外務省のもつ 「村体質」 です。なぜそのまじめで有能な外交官たちが、そのように、あえて 「村八分」 を甘受するような行動をとらざるを得なかったのか、という思いです。それは、公金をつるんで着服するといった次元はおろか、その省全体が、何か、共通のコードによって縛られた秘密結社であるかのような、そうした印象です。
 それに、外交官試験にパスするとは、日本人にとってはエリートコース到達の意味をもち、そのタイトルを持った人たちの自負心は相当なものがあると想像します。つまり、そうした人たちの集まり――たとえばワシントンの日本大使館――が、歳月をかけて構築してきた日米関係の枠組みを、ある総選挙による結果の政権交代で登場した新本国政府が、その従来の蓄積をくつがえすような政策を掲げた場合、彼らが、その新たな外交政策を見下し、事実上無視することが国益にそうと考える選良心理――つまり、心理としての 「民(私)営化」 ――は、充分にありえるのではないかと思われます。
 次にですが、ここで、1993年の現皇太子の結婚が想起されます。それは、祝福すべき個人同士の結びつきとは別に、皇室と外務省との結びつき――雅子妃は元外務事務次官小和田恆の長女で、婚約時、外務省北米局北米二課の市場開放・規制緩和担当外交官――、との意味があることです。つまり、その結婚は、個人間の意志の確認に基づいているとはいえ、それのもたらす “政略的” 意味も、関係者の間で慎重に検討された結果の婚姻成立のはずです。妃の父親はその地位からして外務省の本流系の人物つまり北米局系人脈と考えられますが、彼女がもしアジア大洋州局系(省内反主流)の人物(例えば中国課系)の娘であったとしたならば、その婚姻の成立がありえたかどうか。庶民のゴールイン話とはちがって、これくらいの国家行事たる結婚話であるわけですから、当然に、宮内庁という官僚機関をはじめ、諸組織によるその国家的狙いもあわせて遂行されているにちがいありません。だとすれば、そこには、皇室の婚礼に祝賀を表すという日本人の国民感情の、その丸ごとの親米化、はてまた属国化への方向づけあるいは地ならしが企図されていた、と見えてきます。
 こうして見られる、現地大使館による本国政府政策の捻じ曲げと、国内で進行している国民感情までもの属国化工作という二重の歪曲が、一見、別現象であるかのように受け止められるのですが、実はそれらが、日本自身に宿る両面的事実に根差しているとして指摘できるのです。そして、この両面をつなげている地下茎が、冒頭に記した、天皇制にからむ 「二重の縛り」、言いかえれば、日本人をいまだに取り込み続けている 「共同幻想」 です。
 
こうして、緻密に組みあがった既存体制が、ある選挙結果によって変えられようとする場合、その民意の背景にある、意識しにくい――ある意味では意識したくもない――共同幻想すなわち属国根性が、その既存体制の当事者たちがつるんでその変革者なり変革構想を引きずり降ろそうとする意図に共鳴させられて、今回のような 「 “ハト” の墜落つまり、民意の捻じ曲げが起こさせられるのです。
 つまり、民主党にしてみれば、結果的ながら、 「ハト」 を飛ばして観測された風向きの悪さに、その修正が図られる必要がでてきているのです。そして、民主党政権、第二期の始まりです。

 さて、こうして、飛びすぎたハトは失速墜落し、管新リーダーが登場しました。
 言うまでもなく、管首相の使命は、鳩山前首相のやり過ぎの修正です。いわば、鳩山と反自民を足して二で割る堅実化です。そういう意味で、草の根市民運動出身の管と、官僚の実力の活用、の双方を組み合わせた――草冠付きの「官」―― 「クサ-カン」 政権と呼ぶこととしましょう。
 まだ、クサ-カン」 政権の詳細な政策は公表されていませんが、骨格は、 「強い経済、強い財政、強い社会保障の一体的実現」 という、世界一の借金政府である日本政府の現状からみて、三つどもえの矛盾を一括克服しようとの大胆な政策です。
 揚げ足取りをする積りは毛頭なく、その困難突破の実現を切に願うものですが、しかし、もしこのクサ-カン」 政権も墜落した場合、その次には何が来るのか。
 そこで私の予感に触れてくるサインが見られます。
 たとえば、文芸春秋』 今年7月号の、 「日本国民に告ぐ」 と題した、藤原正彦お茶の水女子大名誉教授の 「一学究の救国論」 です。
 私は、同教授の見方に深く関心をもってこれまでのいくつかの記事をよんできました。そして今回のこの論文は、その集大成のような趣旨をもったものと受け止めているのですが、そこに表されている彼の見解です。
 その中で、 「日本文明」 の独特さや、日本人に、誇りと自信を持ってそれを取り戻せと呼びかけているのはいいのですが、 「国民の心の拠り所
が天皇であったとして、こう述べられています。
  「(戦後アメリカは) 天皇を元首からただの象徴にした。さらには皇室典範を新たに定め、十一宮家を皇籍離脱させ、万世一系を保つのがいつか極めて困難になるように仕掛けた。国民の求心力の解体を目論んだのである。」
 私は、過去の事実やその解釈はほぼこのようであってもよいとは思いますが、ただし、これまでの 「訳読」 が発見してきたように、その国民の心の拠り所」 も仕掛けられたものでした。したがって、これからの日本を立て直す 「求心力」 の基軸に、再度、天皇に焦点を当てることは、明治維新期の “苦しい時の ‘’ 頼み” の再来――つまり 「究極の民(私)営化」 ――でしかなく、その後の顛末から見ても、疑問がぬぐえません。それは、上に述べたように、その 「共同幻想」 に基づくがゆえの擬制に頼る、現実性を欠くあぶなさです。容易な操作性の余地です。
 それをこれからの日本の拠り所にしようと言うのは、余りに、非現実的で情緒的で後ろ向きです。
 過去の歴史を歴史として尊重しつつも、新たな、将来へ向けた基軸を必要としているはずです。


 (2010年6月14日)

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