「両生空間」 もくじへ 
 HPへ戻る



    
    修行第十六風景


 6月12日、午後11時10分ごろ、店からの帰途上、私の自転車の距離メーターは、積算9000キロに達しました。このところここシドニーは雨天続きで、やむをえず車を使う日が多く、この達成の日が延びのびとなっていました。
 以前にも書いたことがあると思いますが、一年でおよそ3000キロを走ってきているのですが、記録を見ると、去年の6月2日、6000キロ突破とあります。
 2年前の3月、この自転車通勤を始めた時、そのメーターは確か2000キロを少々越えたところだったと記憶しています。以来、2年3ヶ月で、7000キロ近くを走ったこととなります。
 ともあれ、9000キロとは、ほぼシドニー、東京間の距離です。一万キロの大台も、今年中に達成できるのは間違いないでしょう。何事もなければ。

 さて、例の柳葉包丁ですが、その今の姿をご披露しましょう。
 
  

 ご覧のように、刃身にすっかりと磨きがかかって、全体が鏡のように輝くようになりました。
 おかげで、ちょっとでも手入れを怠ると、その輝きに曇りや変色をきたします。ただ、写真では分りませんが、目を近づけ透かすようにして見ると、それでも、その輝きにむらや微細なきず状の曇りが見られます。しかし、こうした不十分さも、使っている砥石の限界にもより、むろん切れ味は申し分なく、実用上はこのレベルを維持しようと思っています。
 それに、道具はあくまでも道具で、それを使う肝心な腕のほうが、満足なレベルに達していないのは極めて明らかで、その探求がまだまだ必要です。そして、私の年季が増せばますほど、逆にこの柳葉は、身代わりとなって、その身を細らせてゆくはずです。

 ところで、包丁をこのように砥ぎあげつつ、こんなことを考えました。
 包丁のその目的を達成しようとして、丹念に手入れをすることが、その包丁の全身を鏡面にように輝き出させることになる。
 物理現象として見れば、刃をその限界まで鋭くするため、その表面を限りなく、おそらく分子単位で、砥ぎ、磨いていった結果が、その表面を鏡のように滑らかにさせた。つまり、鏡面とは分子が整然と並んでいる最も乱されていない状態のことなのかもしれない。
 これは、何か、ことを究めてゆくことが、そうした鏡面の状態をもたらすことをも示唆しているようで、人間も、自らを究めれば、世界をありのままに映す、静謐な鏡状のひととなりに至らせるのかもしれません。

 (2008年6月13日)

 「両生空間」 もくじへ 
 HPへ戻る
                  Copyright(C) Hajime Matsuzaki  この文書、画像の無断使用は厳禁いたします