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 連載

相互邂逅




 こうして僕が選んだのは、そういう偶然がもたらす選択以前の選択であった。
 だが、そのようにして始まった 「飛躍」 は、果たしてほんとうに、あるいは、どのような、 「飛躍」 であったのだろうか。
 その頃のノートに、ひとくだりの引用がある。
 これは、その当時、世間の流行からはやや遅れて僕が読んでいたはずの、吉本隆明の著作からの引用である。ちょっと説明を入れておくと、 「自己帰還」 とは、あくまでも自己に固執することであり、 「対幻想」 とは、その固執を解き、相手に自己を委ねることである。後者を 《暖かい愛》 とするなら、前者は冷たい愛》 とでも言えるだろうか。
 そのノートの限りでは、これを抜き書きした意図が、そのいずれが自分であるとしているのかは明確ではないのだが、僕はこの二つの方向―― 「自己帰還」 ないし冷たい愛と、 「対幻想」 ないし暖かい愛――
について、当時は、少なくとも主観的には後者であると思っていたようなのだが、いま、こうして当時の僕と再会してみると、それは表面的で、なかなかどうして、本当はつよい前者であったのではないかと、あらためて覚らされるものがあるのだ。
 むろん実際の場面では、この二要素は、そのいずれかと二者択一的に存在するものではなく、それらが混在するのが普通であると思う。僕ももちろんその例外ではなく、その二者のミックスを演じていたのだが、その根底には、確固とした前者、すなわち、 「自己帰還」 あるいは冷たい愛》 によって支配されていたのではないかと思われるのである。

 新潟の稲作農村文化を全身で吸収して育ち、県立高校を良い成績で卒業して東京の名高い公社に就職し、そうして彼女は、期待に胸をふくらませて、新旧の世界の違いをすでに二年ほど体験していたはずだ。
 そうした彼女が、出会いからひと月半ほどしたある日、不思議な言葉を僕にはいた。
 それは確か、僕の家の最寄駅である西武池袋線練馬駅の――当時は今の高架化されるはるか以前で、駅には引き込み線もあって、その私鉄がまだ物資輸送の役割を果たしていた時代の面影をのこしていた――そのうす暗い駅構内を、彼女を送って行こうとしていたのか、二人して歩いている時だった。
 僕は一瞬、この 「よく」 の意味がとれずにとまどってしまった。そしてあわてて、それを 「欲」 と理解し、さらにそれを感情の上でのそれと受け取って悦に入ろうとした。
 そうして数日、僕はそう気をよくしていたのだが、やがて、それがそうではなく、彼女の新しい世界への挑戦を意味しているのだなと覚るようになった。
 先の 「私、どこへでも出かけて行きすぎますか」 との質問にしても、僕はその質問の由来を、互いの性格的な 「一致」 と受け止めていたのだが、ここに至って思えば、それは性格的な近似というより、彼女の 「意欲」 の表れと理解すべきであったろう。それを、こう僕は書いている。
 なんとも、おめでたい独り善がりであるのだが、ただ、こうも表現している。

 それはどの日の夜のことであったのか、ある日の夜、僕は彼女を、彼女の住む質素なアパートまで送って行った。同じ私鉄線の幾駅か先の、駅から徒歩で数分、あたりはまだ郊外の田園地帯の面影をのこす土地に、L字型に建てられた二階建ての木造アパートがあり、その建物の端に、二階への階段が付随していた。


 つづき
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