「両生空間」 もくじへ 
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        一生涯「仮の姿」


 以前のエッセイで (両生学講座 第5回 (両生哲学 両生学への序論:「疎外」との遭遇)、学業を終え社会に出たばかりの頃、友人たちと、昼間の労働する自分たちを 「世を忍ぶ仮の姿」 と語り合っていた、という話を書きました。
 それを、昼間ばかりか、24時間、365日、あるいは、一生涯、それが 「仮の姿」 であったとするとどうなるのでしょう。
 私にとって、来月に迎える還暦のギフトは、60年の歳月が培ってきた、そうした見解となりそうです。

 また、このサブ・サイト 『両生空間』 も、来月号で発行一周年を迎え、さらに、リタイアメント オーストラリア(両生類クラブ)発足からは、二年九ヶ月となります。
 こうした “出版” 活動が経てきた足跡をたどると、上記の見解への過程がはっきりとつかめます。

 ほぼ三年前、「両生類」 をキーコンセプトにこのサイトを設置した際、「両生」 という概念は、「クラブの趣旨 」 にも表されているように、きわめて地理的かつ物理的な含みのものでした。そして合わせて、「リタイアメント オーストラリア」 というビジネスにも取り組み、微細ながらの発展はありました。
 しかし、ビジネスという面で、そのコンセプト自体は的を得ていたとは思いますが、私の事業下手を棚に上げて言わせてもらえれば、この分野への大手企業の大々的参入により、お客はすっかりそちらにさらわれています。予想はしていましたが、ニッチな分野も残っていないほどです。
 このあたりまでの時期は、その 「仮の姿」 との絡みでいえば、「実の姿」 の追求の時期で、実業との奮闘にかかわってきていました。
 また、こうしたサイトには現れていませんが、私がかかわってきているもうひとつの実業としての 「ビジネス・コンサルタント」 の仕事は、これらに平行して成されてきています。しかし、それも、かかわりの度合いとしては、しだいに軽量化をへてきています。この辺のいきさつや詳細については、また、別に、それを述べる機会があると思います。
 こうして決断して取り組み始めたのが、昨年八月からの 『両生空間』 です。ここで、私の「両生」のコンセプトも、地理的な意味から離れ、むしろ、哲学的、倫理的、あるいは、“学問” 的追及としての 「両生価値」 に焦点を絞り込むようになりました。そうして続けてきているのが、「両生学講座」 です。
 で、その 「講座」 内容としての発展ですが、その一連の議論で発見してきたものは、「疎外」 という考え方の重要性と、その普遍性です。つまり、当初は、働くこととの関係で、その 「疎外」 をとらえていたのですが、やがて、それが、歴史的にも、倫理的にも、人間存在の根本にかかわる概念であることを発見してきています。宗教という角度から言えば、魂の救済が必要なのがこの現世で、それは、救われない、つまり、疎外されっぱなしの世界であるわけです。来世がだから求められるわけです。
 これを平ったく言えば、厳密に考察すればなおさら、そうでなくともちょっと真面目に考えるだけで、この世界は、ごまかしと嘘八百に満ち溢れています。たとえば、小泉政権の5年間の 「改革」 を見ても、それが結局、何を生み出しているかと目を凝らせば、19世紀末への逆戻りです。二度の大戦で、無数の命と引き換えに人類が学んだ教訓をすっかり放棄し、人間の平等思想の大切さ、民族的偏見の打破、企業の利益追求と労働者の権利のバランス、国という権力構造への民主的チェック、そして、武力にうったえない国際的話し合いの優先、こうした教訓が、おろかにも罰当たりにも、ことごとく忘却されようとしています。
 私はもう、こうした世界と、妥協多い 「実の姿」 の次元であっても、共存してゆきたいとは思いません。ただ、自死はまだ選択肢には入っていませんので、 「仮であらなくてもよい姿」 を求めながら、そうした「鬼胎」の世界とのかかわりは最低限に抑え、想像力を手がかりに、なけなしのかかわりを続けてゆきたいと思います。
 こうして、ある意味では、ようやく、出発点に立ったかの心境にあり、うそに塗り固められた世界を暴き出す仕事も、やるべき仕事のひとつと思っています。
 還暦を迎えて、ようやく振り出しにあるとは、これが 「耳順」 ということなのでしょうか。

 (松崎 元、2006年7月14日)
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